ぐわんと、頭を殴りつけられたようなショックを感じて、響也は動きを止めた。 なんてことだろう。初デートなのにも係わらず、何のプランも無い。 いや、あったのだ。最初は確かにあった。 洒落たレストランや、眺めの良い場所等々。幾つか周到に用意だってしていた。けれども、今、仕事の終わったこの時間に、予約無しで成歩堂を連れて行ける場所が、その中にない、(ある訳がない今は深夜だ)。 晴れて恋人同士になったのだから、ムードのある、ふたりっきりになれる場所で甘い時間を過ごしたい。そんな希望が成歩堂龍一という人間に当てはまるかどうかは別にして、若い響也が思うところのデートはそうだ。 相手が同い年か、もっと若ければふたりで過ごせれば幸せなんだという気分にもなれただろうが、なんと言っても相手は年上。常に気怠い色香を纏う、大人の男性だ。 気の利いた場所が思い浮かばなければ、自宅に招待しておもてなしをする事も考えた。そこそこ綺麗にはしているし、兄が時々自分が気に入った物を置いていってくれている。兄の審美眼は間違いないから、成歩堂をもてなすのに不足はないだろう。 だけれども、最初から自宅に誘うのは、完全に期待しているようで、気後れする。自分が年下だからこそ、性的欲求にガッツいているのと思われやしないかと懸念した。 好きだと感じている相手に嫌悪されるのは嫌だ。それ以上に、相手に楽しんで欲しい、響也には、そういう部分がある。自分が楽しいのも好きだけれど、好きな相手が楽しんで貰える事が何よりも嬉しいというサービス精神だ。 「あの、さ。成歩堂さん。」 躊躇いがちに話し掛ければ、ソファーに座ったままの相手が視線を上げた。瞼を半ば落とした真っ黒い瞳が、見上げてくる。 視線に捕らえられ、心臓が鳴る。 「何?」 「…成歩堂さんは、行きたいところがあるの?」 ならばせめて、相手が行きたい場所にしようと響也は結論づけた。成歩堂に目的地がなければ、改めて自宅を紹介してみても良い。しかし、暫くう〜んと考えた末に、成歩堂はこう告げる。 「君が奢ってくれるとこ。」 「え?」 「だから、響也くんが僕に奢ってくれる場所でもいいよ。牙琉だったら、僕みたいな格好だと追い出される場所とかに連れていってくれるけど、君は未成年だし無理だよねぇ。」 兄の名が出て少しばかり悄げる。それでも気を取り直して(だって自分と行きたいと言ってくれるのだ)訪ねた。 「成歩堂さんが決めてくれれば良いよ。「それじゃあ、あそこだな。」」 にこりと笑い、成歩堂は勢いよく立ち上がった。先程までの気怠い態度を一変させ、ハキハキと歩き出す。 「早く、早く。」 スタスタと廊下へ出てしまう成歩堂を追って、響也は慌てて部屋を後にした。 余りにも慌てたので鍵をかけ忘れ、成歩堂に先に行くなと念を押してから部屋へ戻る。 期待に溢れた成歩堂の視線を背中に感じながら、響也も高潮する気分が抑えきれない。成歩堂と二人でデートだなんて、本当に嬉しい。 しかし、その響也の喜びも検察署から徒歩5分に位置するファミレスにつくまでのものだった 欲しいくせに、いざ遣ると言われて手を引込める様な男では、二度と機会は掴めない。 夏のオススメ『こってりハンバーグ定食』を頬張りながら成歩堂は疑問符を頭に浮かべた。向かい合って座る響也はドリンクバーのアイス珈琲を、何かを探すかのようにかき混ぜていた。 しょぼくれた垂れ耳と、尻尾が見えたような気がして成歩堂はゴシゴシと目を擦る。 深夜のファミレスは、昼間ほどの賑わいはないもののそれなりに客はいる。しかし、店全体はどこかまったり、のんびりのムード。終電を逃したか、それとも此処で一夜の宿を取るつもりらしい連中と、カップルばかりが多い中、確かに響也の姿は浮いていた。チラチラと店員だけでなく客達も此方に視線を投げてくる。 サングラスで瞳を隠していても、どこか他人と違う雰囲気が彼にはあるようだ。 最も、その連れがまたパーカー姿のおっさんなのが、より一層一目を引いている事に、成歩堂は気付いてはいなかった。 「お腹空いてないの?」 「え?…うん、そうかな…。」 大きな照焼ハンバーグと付け合わせがのった皿。サラダとライスにスープおまけのデザートアイスもズラリと並び、グレープジュースも置かれている成歩堂の陣地に比べて、響也が頼んだのは飲み物だけだ。 注文の仕方も知らない様子だったから、初めてきたんだろうと推測は出来る。兄と同じブルジョワなんだろうと成歩堂は納得した。 「響也くんの趣味じゃないかもしれないけどね。」 笑いながらそう問いかけると、益々しょぼくれた。けれど、頭を左右に振って、成歩堂の答えを否定する。 「そんな事ないよ。」 「そう? じゃあ、食べてみる?」 成歩堂はフォークの先にハンバーグの欠片を突き刺して響也に向かって差し出した。寄り目になって、それを凝視した少年が、ポンと赤くなるのが見える。 困惑してるのがわかるが、何を困っているのか成歩堂にはわからなかった。みぬきだったら、喜んで雛鳥みたいに口を開けるのになぁなどと思っていれば、モジモジと挙動不審気味だ。 「……え、あの…でも…。」 「いいから一口食べてご覧よ、そう食えないもんじゃないから。」 「う、うん。」 恐る恐るといった様子で口を開けるから、そのまま腕を前に押す。唇が閉じたら、そこから引き抜いてやると、自動的に租借を始めた。 唇をキチンと閉じて、音を立てない当たりが育ちが良さそうに見える。 食べてくれた事に満足し、(一応自分ばかり喰っているという罪悪感も若干はあったのだ)成歩堂は自分用に切り口に入れた。 照焼の甘いタレと肉汁がなかなか美味しい。変に高級な料理点で訳のわからないメニューを頭を捻りながら食べるよりも、よっぽど美味しく感じる。 そんな感情を共有したくて、理由も言わずに成歩堂は「ね?」と同意を求めた。 先程よりも更に顔を真っ赤にした響也が、(何と言っても耳まで真っ赤だ)コクリと頷く。 それに気を良くした成歩堂は、黙々と食事を続けた。 奢りの上に好きなものを食べられ、マナーをとやかく言われないし、嫌みもついてこない。こんな美味しい事があるものかと、成歩堂は有頂天になっていた。 みぬきを連れて来たらもっと喜ぶだろうか、いやいやそれは幾らなんでも嫌がるだろう。お土産をたかる位にしておこう。 良からぬ奸計を心で画策していた成歩堂は、それでも全ての料理を完食し、何杯目かのジュースをドリンクバーで足すと席に戻った。 響也は相変わらず、顔を赤くして俯いている。珈琲にも口を付けてないので、中の氷が溶けて薄茶色の液体になっていた。 「結局なにも頼まなかったね。」 「胸がいっぱいで、頼める訳ないじゃないか、成歩堂さんと間接キ…。」 え?と唇が形どったのが見えたのだろう、響也は慌てて自分の口を掌で塞いだ。 間接キス? 自分が使っていたフォークで食べせた事が? 勿論響也の科白に成歩堂も面食らったので、湯気が見えるほどに真っ赤っかな彼の顔を凝視した。視線に居たたまれなくなったのか、響也は怒った様に伝票をひっつかんで立ち上がる。 「もう、食べ終わったよね。」 それだけ言うと、響也はスタスタとレジに歩いて行ってしまった。先客の様子を観察し、支払の仕方はわかったらしい。 慌てて残りのジュースを飲み干して、成歩堂はその長い脚を追った。サービス用にレジの横に置いてあった飴を手に取り(だって葡萄味だったし無料だったし)、店を出る。 店の外、歩道に突っ立っている響也は酷くしょんぼりしていて、やはり垂れた耳と尻尾がありそうだ。 成歩堂は苦笑いをしながら、響也の横に立つ。きっと、殆ど飲み食いもしていないのに、お金を払わされたのが不服だったんだろう。此処は御礼のひとつでも言っておかないと次ぎが怪しいよな。 「僕と食事、楽しくなかった?」 「ちが、違うよ!成歩堂さんと初めてのデートだったから、もっと特別な心に残るようなイベントにしたかっただけだよ!」 鳩が豆鉄砲が食らった。 デート? これが、響也の視点では、初めてのデートに位置していたのか!? 再びカルチャーショックを喰らって、暫し動きを止めた成歩堂は、辛うじて学生時代を思い出す。彼女の手を握るのすら胸が張り裂けそうだった頃が、確かに自分にもあったはずだ。『リュウちゃん』と呼ばれただけで、心が躍った。 それは端から見ればこんなにも滑稽な事だったのか。…改めて考えると恥ずかしい。 そうして、必死な様子の少年に成歩堂は感謝の気持ちを伝えるべきだと考えた。 無論、次ぎを見越しての話ではあったが、好意がなければ次ぎなど考えはしなかったはずだ。 成歩堂は、歩道で初めてのデートの構想を語る少年の手を握ると建物の陰に連れ込んだ。人目を避けてから感謝代物を送ろうと思ったからだ。 勿論、それは蘇った記憶と共にあの時に自分が一番意識していた行為。彼女の横顔を眺めつつ常に考えていた事だ。 「成歩…「黙って…」」 相手を制し、成歩堂は間接ではないキスを響也に送った。 content/ next |